サブスリーを目指す、記録を出したいランナーへ

5000mからウルトラ、トレイルまで、走ることや関連することを書いていきます。

「速く走りたい気持ち」があるなら

あなたは何キロを何分で走りたいと思っていますか?

 

5キロ14分台。

10キロ29分台。

フルマラソン2時間台。

100キロ9時間台。

 

様々な距離がある中、共通の速さの基準は「数値化出来ること」です。

そして、市民ランナーでは「キロ3分」が速いと思われがちですが、トラックレースではキロ3分では遅いと思われる時代です。

 

私が専門競技として走り始めたのは、高校2年からでした。中学卒業までの間に野球を6年、小学校で少年サッカー4年、スイミングスクールに5年通っていたのでスポーツ経験はあります。

 

高校では違うことをやりたいと思っていた時に、勧誘をきっかけに進学した東海大学菅生高校の吹奏楽部に入部し、東京の吹奏楽部では都内トップの吹奏楽だったようですが私には合わないと見切りをつけて、高校1年が終わった春休みに顧問の先生にお願いに行き、陸上部で走り始めたのでした。

 

高校に入ってからは、体育の授業以外は走っていなかった私でしたが両親が市民ランナーだった影響もあり、再び運動部の環境に足を踏み入れたのでした。

 

背筋を真っ直ぐにして走る、

膝から前に足を出す、

かかとから着地して、強く蹴る。

 

基本走と言われる正しい姿勢を身に付けること、60分ジョギングでスタミナを付けることから始めたのですが、基本は3日目くらいで終了し、インターバル走、ペース走の基本練習で練習を重ねていったのでした。

 

400mインターバル走では、本数の半分を超えるとついていけなくなり、12000mのペース走では10周を付いていくのがやっとで後は一人で走る状況がしばらく続きましたが、2ヶ月ほど経つと最後のラストスパートには負けるものの本数と距離をこなせる自分に気づくようになるのでした。

 

「次こそ頑張るぞ!」

「ついて行けなくても、練習メニューは全てこなそう」

 

その気持ちが毎日続いたことで、私は最後まで走り切る練習と大会が続いたのでした。高校を卒業して、2001年3月に開催されたハワイ諸島にあるマウイ島でのマウイマラソンが私の初フルマラソンで、3時間29分のサブ3.5をかろうじて切る状態でしたが

 

「フルマラソンには持久力を付ける練習をして、ペース維持が大事だ」

そのことに気づいたのでした。

 

二度目のフルマラソンは、2001年11月のつくばマラソン。当時は大学1年で、トライアスロン部に所属しながらランニングをメインに走っておりましたが2時間52分58秒の初サブスリーを達成したのでした。

 

当時は東海大学建築学科で、湘南校舎内のアップダウンがある1周2.5キロのコースを周回練習でペースタイムを意識していたのでした。

 

そして、川沿いを走り約10キロ先の相模湾まで往復し、持久力練習を積み、弘法山という標高500m前後の山の山頂までスタミナ練習も重ねていたのでした。大学内にあったトレーニングルームで、筋力強化をしていたことも記録につながったのだと思います。

 

その後もフルマラソンを完走する日々が続くのでした。

 

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3回目 2003年 東京国際女子マラソン25回記念大会

    2時間49分

4回目 2004年 ホノルルマラソン

    2時間58分

5回目 2005年 いびがわマラソン

    3時間7分

6回目 2006年 河口湖マラソン 

    3時間23分

7回目 2008年 東京マラソン

    3時間10分

8回目 2009年 湘南国際 

    2時間52分

9回目 2010年 湘南国際

    2時間49分

10回目 2010 スポーツソウル

    3時間1分

11回目 2012年 別府大分

    2時間47分

12回目 東京マラソン2012

    2時間49分

13回目 2014年 別府大分 

    3時間1分

14回目 2014年 台湾

    2時間55分

15回目 2015 別府大分 

    2時間52分

16回目 2015年 防府読売

    2時間59分

 

思い出すのも大変でしたが、私のフルマラソン全成績は以上でした。

上を目指すことに辛さを感じる日もあることでしょう。そのような時は、タイムを意識せずにゆっくり走れば良いのです。

 

1本ごとの大会を完走することで、自分に経験と自信が付きます。是非とも、挑戦は続けることが良いでしょう。