サブスリーを目指す、記録を出したいランナーへ

5000mからウルトラ、トレイルまで、走ることや関連することを書いていきます。

サブスリーを目指し始めたからには

ただの走ること好きな人で終わるよりも、「上を目指して記録を出したい!」と思い、サブスリーを目指すようになった。

 

特にテレビ中継している有名な大会は、「自分もいつかこの大会に出たい!」と思う良いきっかけになる。

箱根駅伝、福岡国際、東京マラソン、別府大分、びわ湖・・・・。

 

テレビで報道される大会は限られるが、特に参加資格タイムがある大会は、有力選手が集まる良いスピードレースになる。

 

私は東京マラソンには2008年と2012年に出場してきたが、お祭りの雰囲気の大会よりはスピードランナーが集まる大会のほうが性にあっていることを実感した。

 

つくば、湘南国際、いびがわ、ホノルルなど走ってきたが別府大分はテレビ中継しているからか、参加者の人数が多い。元々は参加資格が2時間50分いないだったらしいが、現在は大幅に制限が緩和され市民レースのような大会になった。

 

速い大会に出ると、レース中でも切磋琢磨するモチベーションに恵まれる。自分ひとりのほうが良い人もいると思うが、周りと刺激し合いながら走ることでペースも上がることが良いタイムを生むのだと思う。

 

 

やり始めたことは、結果がどうであれ最後まではやりきることがランナーの宿命だと私は思っている。でも、どうしても気持ち悪い、足の痛みが限界ならば仕方なく棄権して次にその経験を活かすことも選択肢の一部です。

 

某企業のテレビCMには「結果にコミットする」という言葉があるが、現実の世界では結果が全て。「頑張った」で応援や、喜んでくれるのは学生まで。

 

「自分が本気で出したい記録、出たい大会」が決まったら、あなたはすぐにでも練習をするべきです。そして、目標を実現させた自分も応援しつつ、時には自分のことを褒めてあげましょう。

練習意欲が強くても、練習には限度を持とう

練習を始めると、どこまでも走れそうな気分のランナーズハイのような状況になる。

そして「速くなるために、もっと練習しなきゃ」という気持ちになることもあるが、練習のやりすぎは体と足を破壊することもある。

 

フルマラソンで2時間台を出すには、スタミナとスピードの両方を維持することが

とても大事。

 

走り込みをしていないと息がすぐに乱れることがあるが、それはスタミナ切れのサインでしょう。でも、一人で走ると挫折しやすいので、練習の中止は出来る範囲でお願いします。

 

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一人練習では走る気持ちを失いそうになるが、自分との闘争・誘惑にも強気に勝たないといけない。

「今日はここまでやったら帰ろう!」

そのような区切りをつけたあとに、再び始まる大会には新たな気持ちで受け入れましょう。

 

「速く走りたい気持ち」があるなら

あなたは何キロを何分で走りたいと思っていますか?

 

5キロ14分台。

10キロ29分台。

フルマラソン2時間台。

100キロ9時間台。

 

様々な距離がある中、共通の速さの基準は「数値化出来ること」です。

そして、市民ランナーでは「キロ3分」が速いと思われがちですが、トラックレースではキロ3分では遅いと思われる時代です。

 

私が専門競技として走り始めたのは、高校2年からでした。中学卒業までの間に野球を6年、小学校で少年サッカー4年、スイミングスクールに5年通っていたのでスポーツ経験はあります。

 

高校では違うことをやりたいと思っていた時に、勧誘をきっかけに進学した東海大学菅生高校の吹奏楽部に入部し、東京の吹奏楽部では都内トップの吹奏楽だったようですが私には合わないと見切りをつけて、高校1年が終わった春休みに顧問の先生にお願いに行き、陸上部で走り始めたのでした。

 

高校に入ってからは、体育の授業以外は走っていなかった私でしたが両親が市民ランナーだった影響もあり、再び運動部の環境に足を踏み入れたのでした。

 

背筋を真っ直ぐにして走る、

膝から前に足を出す、

かかとから着地して、強く蹴る。

 

基本走と言われる正しい姿勢を身に付けること、60分ジョギングでスタミナを付けることから始めたのですが、基本は3日目くらいで終了し、インターバル走、ペース走の基本練習で練習を重ねていったのでした。

 

400mインターバル走では、本数の半分を超えるとついていけなくなり、12000mのペース走では10周を付いていくのがやっとで後は一人で走る状況がしばらく続きましたが、2ヶ月ほど経つと最後のラストスパートには負けるものの本数と距離をこなせる自分に気づくようになるのでした。

 

「次こそ頑張るぞ!」

「ついて行けなくても、練習メニューは全てこなそう」

 

その気持ちが毎日続いたことで、私は最後まで走り切る練習と大会が続いたのでした。高校を卒業して、2001年3月に開催されたハワイ諸島にあるマウイ島でのマウイマラソンが私の初フルマラソンで、3時間29分のサブ3.5をかろうじて切る状態でしたが

 

「フルマラソンには持久力を付ける練習をして、ペース維持が大事だ」

そのことに気づいたのでした。

 

二度目のフルマラソンは、2001年11月のつくばマラソン。当時は大学1年で、トライアスロン部に所属しながらランニングをメインに走っておりましたが2時間52分58秒の初サブスリーを達成したのでした。

 

当時は東海大学建築学科で、湘南校舎内のアップダウンがある1周2.5キロのコースを周回練習でペースタイムを意識していたのでした。

 

そして、川沿いを走り約10キロ先の相模湾まで往復し、持久力練習を積み、弘法山という標高500m前後の山の山頂までスタミナ練習も重ねていたのでした。大学内にあったトレーニングルームで、筋力強化をしていたことも記録につながったのだと思います。

 

その後もフルマラソンを完走する日々が続くのでした。

 

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3回目 2003年 東京国際女子マラソン25回記念大会

    2時間49分

4回目 2004年 ホノルルマラソン

    2時間58分

5回目 2005年 いびがわマラソン

    3時間7分

6回目 2006年 河口湖マラソン 

    3時間23分

7回目 2008年 東京マラソン

    3時間10分

8回目 2009年 湘南国際 

    2時間52分

9回目 2010年 湘南国際

    2時間49分

10回目 2010 スポーツソウル

    3時間1分

11回目 2012年 別府大分

    2時間47分

12回目 東京マラソン2012

    2時間49分

13回目 2014年 別府大分 

    3時間1分

14回目 2014年 台湾

    2時間55分

15回目 2015 別府大分 

    2時間52分

16回目 2015年 防府読売

    2時間59分

 

思い出すのも大変でしたが、私のフルマラソン全成績は以上でした。

上を目指すことに辛さを感じる日もあることでしょう。そのような時は、タイムを意識せずにゆっくり走れば良いのです。

 

1本ごとの大会を完走することで、自分に経験と自信が付きます。是非とも、挑戦は続けることが良いでしょう。

 

サブスリー達成に大事なこと

私が初フルマラソンに挑戦したのは、2001年のマウイマラソン

それから直近の大会は、2015年の防府読売マラソンだったが合計16回フルマラソンを完走することが出来た。

 

ラソンは長く続く辛いことの代名詞のようになっているが、完走できない人にとっては辛くやりたくないことであることは確かでしょう。

 

ただ、正しい練習方法とモチベーションの維持ができれば何度でも挑戦できる素敵なスポーツです。実業団ほどではなくとも、スピードと体力を要する持ちタイムが2時間台のサブスリーランナー。

 

1キロあたりを約4分15秒以内を維持できれば達成できるタイムですが、達成するためには短い距離の数をこなす「インターバル走」、「長い距離の走り込み」をすることが効果的でしょう。         

           多くの市民ランナーが目指している、マラソンサブスリーを達成するため ...

私が3時間29分の2001年の初マラソンから、2回目の大会で2時間52分を出せたつくばマラソンまでの期間は約8ヶ月。それまでは「走り込み、スピード練習」を交互に走っていた。

 

また、平均4分15秒を維持するために、日常的にそのタイムでジョギングすることを意識して走っていた。「最初からそんなに速いの?」そう思われるペースですが、記録を出すためには自分に厳しくしていかないと記録は出ません。

 

記録を出した当時の私は、平塚市にある東海大学の1年生だった。陸上部かと思われるがちだが、入部できるタイムは持っていなかったのでトライアスロンサークルに入会して、ランニングをメインに練習に励んでいたものです。

           走るペースを意識して マラソン完走&目標タイムを目指そう | POWER ...

 

「モチベーションの維持」

「走れる環境」

「一緒に練習できる仲間」

 

このような環境が整って、維持できれば確実に記録は出せるでしょう。

1キロ4分15秒は、トラックで1周約97秒。

 

このタイムを体に教え込ませるには、日々の練習が最適。

仲間でもあり、ライバルでもある仲間と切磋琢磨と練習することで努力の継続が出来るようになることでしょう。

 

35キロの壁、

私はやっぱりダメだと思ってしまうモチベーション、

迫ってくる目標のタイム、

 

それらの緊張感を意識しつつ、コース上でいつも通りの練習をしていきましょう。

 

 

 

 

過去の自分を越える走りを!

はじめまして。

今日からこちらのページでマラソンブログを書く事にした、runrun1725と申します。

 

私は東京都出身で現在は川崎市に住んでおり、

高校の部活の延長で現在も走っている38歳の男性です。

 

最近は、コロナウィルスの影響で大会の中止や延期が決まる中、

川崎市の月例川崎マラソンに出場しています。

 

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この大会は、川に沿った土のトラックや砂利道を走る大会であり、

月例と言う名の通り、毎月開催されている大会です。

 

子供1キロ、3キロ、5キロ、10キロの距離があり、

時間差をつけてスタートし、全種目を出ても1種目でも参加費が

1000円のお得な大会です。

 

私は高校の部活の延長で走っており、現在は走友会に入会しつつも水曜日の夜に八王子市の競技場で合同練習があり、一時期は毎週参加していましたが、結婚で川崎に住んでいるので練習会には参加できず一人で走っております。

 

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競技者意識で走っているため、速い人が集まる大会には興味があり、

少し前ですが2015年12月の山口県で開催された防府読売マラソンのために、

 

一人で新幹線に前日に乗り、ビジネスホテルに一泊して翌日に出場して、

フルマラソンを完走したこともあります。

前日の長距離移動の疲れなのか、30キロ過ぎから気持ち悪くなり、

力を出し切れないながらも2時間59分の3時間切りを達成したのでした。

 

海外レースは家族で参加した、2001年のマウイマラソンで初フルマラソンを走り、

中間から苦しいながらも3時間29分。

2004年のホノルルマラソンでは、2時間58分で完走しました。

 

 

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所属する走友会関係の方と、中国の泰山登山マラソンという一般道と階段を走るマラソン大会にも出場したことがあり、その時は2度目の出場でしたが1度目の出場の時に海外枠で2位入賞を果たしたこともあります。

 

近年での出場は他にもあり、私はフルマラソンと野辺山での100キロマラソンをメインに走っています。

 

競技意識ですので、フルマラソンは2時間台のサブスリーを最低ラインに走っていますし、練習の一環で山を走るトレイルラン、富士登山駅伝に出場するために8月に富士山にも行っています。

 

今後のブログ発信は、「フルマラソン2時間台のサブスリーを目指すランナー」にしていこうと考えています。

 

私はフルマラソンを16回完走し、12回は2時間台で完走してきました。練習やモチベーション、大会に向けてなど多くの視点から走ることを発信していこうと思いますので、今後のブログ更新もお願いします!